8要素臭を用いたりんご臭の記録・再生

はじめに
水晶振動子匂いセンサを用いて電子的に匂いを記録・再生する 匂い記録・再生システム(匂いレコーダ)を実現した. その構成図をFig. 1に示す. 従来,匂いを記録する方法として,言葉などの主観的指標を用いることが多かったが, 匂いレコーダでは客観的に匂いを記録でき,正確な匂い再現が可能である. このような装置は,匂い通信,バーチャルリアリティ,オンラインショッピング,アロマテラピなど, 様々な分野における応用が期待される.

Fig. 1 匂い記録・再生システム(匂いレコーダ)の概念図

匂い記録・再生システムの原理
匂いレコーダにおける匂い記録・再生の原理について説明する. Fig. 1に示すように,初めに,りんごなどの対象の匂いを測定装置に供給し, 複数種の水晶振動子匂いセンサで構成されるセンサアレイ応答パターンを測定する. その後,測定経路を,匂い調合装置(ブレンダ)に切り換え, 予め用意した複数の要素臭(匂い成分)を混合した調合臭を測定する. ブレンダにおける各要素臭の調合比はパソコンから任意に調整できる. 対象臭と調合臭に対する応答パターンが出来る限り等しくなるように, フィードバック制御を用いてブレンダの調合比を調整する. フィードバック制御を繰り返し収束するまで行い, 最終的に応答パターンが最も近くなったときの要素臭調合比を, 対象臭に対する「匂いレシピ」として記録する. この匂いレシピを電子データとしてネットワークを介して送信すれば, 遠隔地におけるブレンダで対象臭と同じ匂いを再現できる.

測定装置
実際に実現した匂い記録・再生システムの写真をFig. 2に示す. ブレンダはΔΣ変調により電磁弁を開閉制御することで実現した. この装置では,要素臭として8種類まで取り扱うことができる. 現在、小型で可搬性の高い装置が開発された.この装置をインターネットを介した匂い再生システムの研究に示す。

Fig. 2 匂い記録・再生システム(匂いレコーダ)の測定装置

りんご臭の記録・再生
例として,りんご臭を用いて匂いの記録・再生の実験を行った. 対象のりんご臭は,香料会社のりんご臭レシピに従い, Table 1に示す9種類の成分を調合して作成した. 要素臭として,Table 1における要素臭1〜8の8種類を用いた.

Table 1 りんご臭の成分
* りんご臭の成分 匂いの特徴
要素臭1 trans-2-hexenyl acetate グリーンノート
要素臭2 trans-2-hexenal 青臭い匂い
要素臭3 isobutyric acid 甘酸っぱい匂い
要素臭4 ethyl valerate フルーティな果肉感
要素臭5 propionic acid 刺激性の腐敗臭
要素臭6 1-hexanol 甘い香り
要素臭7 1-butanol ぶどう酒に似た香り
要素臭8 butyl isobutyrate 果実様香気
要素臭9 butyl propionate フルーティな香気

記録方法
 記録方法として,2種類のアルゴリズムを用いた. 一方は「2値量子化法」であり, もう一方は「SVD法」である.
2値量子化法
 2値量子化法は調合臭に含める要素臭の種類の組み合わせで対象臭を近似する方法である. ブレンダにおいて要素臭濃度をON/OFFの2値に量子化するため,二値量子化法と呼ぶ。2値量子化法をFig. 3に示す。

   Fig. 3.2値量子化法

SVD(Singular Value Decomposition) 法
SVD法は,要素臭に対するセンサ応答特性に基づいて, センサ応答パターンに最も影響を与える要素臭濃度空間の軸方向を計算し, 影響の大きい軸で構成される空間に次元圧縮して匂いレシピを探索する手法である.この方法では、s(センサアレイ応答パターンベクトル)とc(レシピベクトル)の間で、s=Acの関係を仮定した.sは式1のように示される。

U, Vは直交行列であるが、W は対角行列である。
また、新しいベクトル x と y を式2、式3のように定義する。

(式2) 濃度及びセンサ応答ベクトルを変数変換 (式3)

式1のs、cの代わりにx、yを用いるとそれらの関係は式4になる、

y=Wx                (式4)

  Wの中で、小さな特異値(雑音にのみ寄与)を0にすると、少数の次元のx, y空間でレシピ探索を行うことができる。
8次元(要素臭数)で構成される匂いレシピ探索空間を, SVD法に基づいて最も応答パターンに影響を与える4次元空間に圧縮し, りんご臭の匂いレシピ探索を行った.

再生臭の官能検査による評価
記録した結果を評価するために,匂いレシピに基づいて匂いを再生し, 人間の鼻による官能検査を行った. ここでは官能検査手法の1つである3点識別法を用いた. 3点識別法の概念図をFig. 4に示す. 2リットルのサンプリングバッグを3個用意し, Fig. 4に示すようにそのうち2個に対象臭を入れ, 残りの1個に再生した近似臭を入れる. 3個を被験者に嗅ぎ比べてもらい,最も異なる匂いを選ばせる. 近似臭を選ぶ割合(識別率)が高いとき,近似臭は対象臭と大きく異なる匂いであることを表す. 逆に低いときは対象臭と近似臭が近い匂いであることを表し,識別率33.3%で全く同じ匂いであることを表す.


Fig. 4. 3点識別法による官能検査方法

比較対象として,りんご臭を代表的な5要素臭で近似した匂い及び最もりんご臭に近い匂いを持った単一臭(要素臭1)に対しても官能検査を行った.評価の結果を表1に示す.

      表1.再生臭の評価の結果
記録方法 識別成功率 センサ
空間距離
SVD 33.3% (12/36) 0.0144
5要素臭近似 47.2% (17/36) 0.0398
2値量子化法 58.3% (21/36) 0.0402
最も近い
単一要素臭
80.6% (29/36) 0.4505

※表の上にいくほど対象に近い

その結果,単一臭では非常に多くの人が匂いを区別できたのに対し, SVD法で記録した匂いは対象臭と全く区別できないことが分かった. また,二値量子化法ではほぼ半分の人が対象臭と近似臭の区別ができなかった。SVD法よりも精度は劣るけれども,要素臭の組み合わせだけで比較的近い匂いを作り出せることが分かった. 要素臭の数をさらに増した場合を考えると,アルゴリズムの単純な二値量子化法は非常に有望な手法である.
さらに、センサ空間上の距離が匂いの類似性に対応していることがわかった。

関連文献
1. T. Yamanaka, R. Matsumoto, T. Nakamoto, T. Moriizumi, "Odor recorder for multi-component odor using active sensing system", 5th East Asian Conference on Chemical Sensors, EACCS'01, Nagasaki, Japan, December 4-7, 2001, 2A11.
2. 松本良輔, 山中高夫, 中本高道, "ΔΣ変調による匂い調合装置を用いた多数成分臭の匂い記録・再生", 電気学会 ケミカルセンサ研究会,神奈川, 2001/11, CHS-01-33.
3. T. Yamanaka, R. Matsumoto, T. Nakamoto, "Odor recorder for multi-component odor using two-level quantization method", Tech. Digest of the 19th Sensor Symposium, Kanagawa, May 2002, Po-25.
4. 山中高夫, 松本良輔, 中本高道, "特異値分解を利用したレシピ探索法による多成分臭の匂い記録法", 電子情報通信学会,有機エレクトロニクス研7究会, 東京, 2002/7.
5. Takao Yamanaka, Ryosuke Matsumoto and Takamichi Nakamoto , "Study of recording apple flavor using odor recorder with five components", Sensors and Actuators B: Chemical, Volume 89, Issues 1-2, 1 March 2003, Pages 112-119
6. Takao Yamanaka, Ryosuke Matsumoto and Takamichi Nakamoto, "Odor recorder for multi-component odor using two-level quantization method", Sensors and Actuators B: Chemical, Volume 89, Issues 1-2, 1 March 2003, Pages 120-125